医師としての原点、父の死で味わった無力感~穢れではない、自然な出来事としての看取り【すみれ館の人々3】
入所者様のコロナ感染なし
花ハウスすみれ館の嘱託医は、川崎市多摩区で在宅療養支援診療所「稲田登戸クリニック」を運営する松本秀平医師(51)です。すみれ館には週に一回の回診だけでなく、入所者様の体調に異変があれば、すぐに駆け付けてくれます。
「診察させていただきますね」。にこやかな表情で、居室に入ると、表情を観察し、背中にライトを当てて診察します。食事をあまり召し上がらない、お身体にむくみがあるなど、状態に変化があった入所者様を中心に診ていきます。何が原因なのか、じっくりと考え、簡単には結論を出しません。
松本医師は「医師が診察するのは、入所者の方にとってごく短い時間。入所者様が普段どのように過ごされているのか、介護士さんや看護師さんの情報が診察の大きな助けになります」と言います。すみれ館では、医師と看護師、介護士、入所者家族との連絡役を務める生活相談員が情報を共有し、病院なみの治療を提供したいと取り組んでいます。
幸いなことに、すみれ館では、これまで入所者様は新型コロナウイルスに感染していません。これもワンチームとして連携し、感染予防策に取り組んできた成果です。
死は穢れではない
特別養護老人ホームでは、入所者の多くが施設で逝去されます。嘱託医の松本医師が心がけるのは、なるべく苦痛が少なく、自然な形で死を迎えること。ご家族や長く介護にあたった職員が寄り添うことが大切です。
死は特別な出来事ではなく、日常生活の延長にあると、松本医師は考えています。医師として日々、人の死に立ち会いますが、自宅に戻るとき、お清めの塩をまきません。死は穢れではないからです。
入所者様が亡くなると、介護士や看護師がかわるがわる、お部屋に入ってお別れの挨拶をします。5年以上入所されていた入所者様が9月下旬の深夜、息を引き取られました。翌朝、休みの介護職員も出勤し、お気に入りの白いネグリジェと帽子を着ていただきました。すみれ館での看取りには、家庭のようなぬくもりがあります。
松本医師が医療を強く意識したのは、高校2年のときに父親を亡くしたことでした。テレビの番組プロデューサーとして多忙な日々を送っていた父は慢性肝疾患でした。入院後、肝臓の機能が低下して意識障害を起こして話せなくなり、そのまま47歳で亡くなりました。このときの無力感が、医師を目指す原動力になったと松本医師は振り返ります。
無事退院するだろうと考えていた家族と違い、本人は死期を意識していたのでしょうか。入院前に松本さんに「弟のことを頼む」とまだ幼かった弟のことを託したそうです。
訪問診療医のやりがい
横浜市立大学で学び、医師になってからは、消化器内科で内視鏡医として勤務しました。自分にしかできない仕事はほかにあるのではないかという思いを漠然と抱いていました。そんなとき、高知県で訪問診療医として働く高校の同級生の仕事ぶりを見る機会がありました。
彼は小児科医でしたが、病院を出て、お年寄りから子供まで、患者が生活する場に赴いていました。高度な機器を使うこともなく、一人の医師や人として己の経験と知識だけを頼りに、患者に寄り添います。力量が問われる、と同時に、やりがいある仕事、に思えました。ほどなくして、地元・川崎で在宅療養を支援する小さな診療所を開くことを決意します。
最初は集合住宅の一室に、パソコンを置いただけ。たった一人で数人の在宅患者を診るところからのスタートでした。今では、交代で勤務する看護師2人と一緒に、川崎市の多摩区と麻生区で数十軒の在宅診療を受け持っています。
診ていた方が亡くなったあと、ご家族から感謝の手紙をもらうことがあります。「自宅で最期のときを心穏やかにすごせました」「在宅療養を選んでよかった」――。家族と共に最期を迎える手伝いができたとき、医師になってよかったと実感します。
高校生のときに父を亡くしたことと、自分が在宅診療医をしていることの間に強い結びつきを感じるといいます。