「なにかを成し遂げたい、母を家で看取りたかった」「デイサービスという居心地のいい外出先。ひとりで抱えなかったからできた」【花ハウスの人々24】
過去最多の参加者が集まった家族会
家族交流会(家族会)は毎年秋のデイサービスの恒例行事です。ご自宅で介護を続ける利用者様の家族が集まり、介護の悩みを打ち明け、助言しあう場で、情報交換の場にもなっています。参加者は今回、過去最高の43人でした。
グループに分かれての懇談
参加者は3グループに分かれ、体験を語り合いました。「夜中にトイレに何度も起きるから、クマよけの鈴をドアに付けました」、「激しく怒ったことも忘れちゃうから、動画にとって後で本人に見てもらいました」、「自分には容赦なく怒るのに、デイサービスの職員さんには笑顔で接するからしゃくに障る(笑)」
参加者のなかにMさん夫妻の姿がありました。デイサービスに9年半通った母が亡くなったのは2年前のことです。娘さん(64)はご主人(77)と一緒に、今も家族会に足を運んでくれています。自分たちの経験を語ることで、在宅介護に悩むご利用者家族の助けになればという思いがあるのです。
家族会に参加したMさん夫妻
夫妻にとって、デイサービスはどんな存在だったのでしょうか。気になったので、家族会の2週間後にご自宅を訪ね、話を聞かせていただきました。
連絡帳のひとことで母の硬膜下血腫が見つかる
花ハウスのデイサービス(以下、デイ)の利用を始めたのは、母の認知症がはじまり、家でボヤ騒ぎを起こしたことがきっかけでした。花ハウスの前をよく車で通っていたから、その存在は知っていました。「大きいし、読売グループの施設だし、しっかりしているだろう」。ケアマネジャーを通じて利用を申し込んだそうです。
母のアルバムを前に思い出を語る娘さん
母はもともと人付き合いが得意。デイのレクリエーションで華道や書道を楽しみ、ご近所の利用者さんもいたから、あっという間に慣れました。「職員さんが、世話好きな母にぴったりな役割を考えてくれました。『今度、こういう利用者さんが入ってきます。緊張しているだろうから、お食事のときに声をかけてくださいね』新しい人が早くデイサービスに慣れるようにサポートする役です。いつも人のためになりたいと思っていた母だから、デイに行くことにやりがいを感じたみたいです。母は花ハウスさんを大好きになりました」と娘さん。ハーモニカが好きなことに注目したデイの所長の勧めで、いつのまにかハーモニカ部の部長にもおさまりました。
「母はレビー小体型認知症の症状が進むと幻視が出て、夜中に騒ぐこともありましたが、昼間のデイでは大丈夫でしたし、家では何をやってもうまくいかず、私に怒られていましたから、デイは居心地の良い場所だったのでしょう」と娘さん。
ありがたかったのは連絡帳を通じたやり取り。娘さんは毎回、スペースが足りなくて付箋を使うぐらい、家での様子や体の状態、薬のことなどを詳しく書き、持たせました。デイからは職員が施設での様子や気になったことなどを連絡帳で伝えてくれました。家では不安定でも、デイでは落ち着いて過ごせていることが多いようで、娘に相談しづらい「オシモ」のことも、デイの職員には相談していたそうです。
「頭が痛いとおっしゃっています」。あるとき、連絡帳にそんな言葉がありました。心臓に持病があったけど、頭が痛いなんて娘さんは聞いたことがありませんでした。デイで毎回測っている血圧も高くなっていたことから、早速病院に連れて行ったところ、硬膜下血腫が見つかって後の手術につながりました。デイで毎週、体重を測ってもらえたことも、母の心臓の状態を把握する助けになりました。慢性心不全だったので体重が増えると要注意なのです。
連絡帳はファイリングし直して今も大事にとってある
母の状態が一変したのは、誤嚥性肺炎から全身状態が悪化し三か月の入院をしてから。長期にわたる入院で体力が落ち、ほぼ寝たきりで、話すこともできなくなっていました。病院では療養型病院への転院や施設入所をと言われましたが、娘さんには、自宅で看取りたいという強い思いがありました。
「自宅で死にたいと望んだ父は在職中に倒れ、病院で亡くなりました。だから母には自宅で最期まで過ごしてほしかった。親孝行っていうより、なにかひとつぐらい人として最後までやり遂げることがあってもいいのではないかと思ったのです。ずっと仕事をしてきましたが、子育てというものをやっていないので」
元気に生け花を楽しんでいたころの母
ご主人が仕事をリタイアして家にいたことも幸いでした。退院時に、家に連れて帰るなら胃瘻(いろう)にしないと帰せないと言われ、胃瘻とおしっこの管を着けての帰宅でしたから、24時間誰かがそばにいないといけません。この状態でまたデイに通えるのだろうか、と娘さんがデイの職員に相談したところ、「車いすに座れるのであれば大丈夫です」「胃瘻も看護師がいるので大丈夫です」という反応でした。自分たちの時間を取りつつ介護ができそうだと、とても心強く思ったそうです。
デイに復帰後はベッドが定位置でしたが、職員や利用者が声をかけてくれて、寂しい思いをすることはなかったようです。娘さんは「朝、デイの送迎が来ると、うれしそうに出かけていきました。結局、自宅で亡くなる10日前までデイに通いました。寝たきりになっても認知症末期になっても外に出かけて人とふれあうことはとても大事だと思います。母にとってもデイの存在は本当にありがたいものでした」と振り返りました。
ご主人は「義母は元気な頃から人付き合いがうまくて、施設でもみんなによくしてもらえた。寝たきりになってもデイで温かく受け入れてもらえた。本人の人柄もあったのかなと思っています。元気な頃からお世話になっていたデイで、弱ってからも受け入れてもらえ、本人も家族も安心だった」と。
そして「デイサービスに行かない日は、訪問クリニックの医師に定期的に往診してもらったり、週一回の訪問看護、嚥下や身体リハビリの療法士、夕方はヘルパーさんもお願いしたりしていました。デイの送迎も含め、毎日誰か来ない日はありませんでした。それで助かった。自分たちだけで抱えていたら無理でした」
大好きだったデイの職員とのツーショット
娘さんは、母を看取って2年以上たったいまも、SNSで介護に関する投稿を読むことがあります。もっとこうしてあげたかった。介護で後悔を抱えている人は少なくありません。「自分で抱えすぎて後悔してしまう人が多いように思います。無理なときは無理、もっと助けてと言って、周りを頼れば、思うような介護ができたかもしれない。施設に入れたからダメということでもない、介護を受ける本人が最後まで尊厳を保てて、よいおわりが迎えられたら、それでいいと思うんです」。母が亡くなって1年半ほどは喪失感に見舞われ体調も崩しがちだったそうですが、今はやりきったという気持ちでいっぱいだそうです。(剛)