花ハウスだより

哲学と病、人生最後の桜~原点は「なにもできなかった自分」【花ハウスの人々7】

 「よみうりランド花ハウス」のデイサービスで、イベントの中心にいるのがGさん(59)です。ステージ衣装に身を包み、カツラをかぶって女子高生から演歌歌手まで演じ分け、演出や脚本も手掛けます。どうしたら喜んでもらえるかと、いつも考えています。聞けば、若いころは哲学を学び、ニーチェを原書で読み込んでいたそうです。

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自分もだれかを支えたい

 子どものころから物事を突き詰めるタイプ。学校でいじめを受けて、「力が強ければ何をやっても許されるのか」「正義とは何なのか」と思い悩む少年でした。大学で哲学を専攻し、フランス語に夢中になります。「普通は大学に入ると勉強しなくなるけど、大学に入ってからの方が一生懸命勉強しました」。卒論のテーマはドイツの哲学者、ニーチェの著作「ツァラトゥストラはかく語りき」だったそうです。

 大学院の修士課程でもドイツ語で哲学の原書を読み込みましたが、体調を崩し、しばらくたって難治性の病気と判明します。入退院を繰り返し、医師から「普通の仕事につくのは難しいでしょう」と告げられます。パソコンと本と辞書さえあれば病室でもできると、得意の語学をいかした翻訳の仕事を始めました。

 翻訳は一年で一冊がやっと。このペースでは安定した収入は望めません。手術で体調が安定したことから、介護の世界に飛び込みました。入退院を繰り返すなか、自分を支えてくれた医療従事者を見ていたからです。20代、30代の大半を闘病生活に費やしたGさんは、いきいきと働く看護師さんたちに憧れ、自分も誰かを支えたいと思ったそうです。

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年末の紅白歌合戦は、いろんな演出が盛りだくさん

「瀬戸の花嫁」で開眼、カラオケ猛特訓

 イベントで気持ちよさそうに昭和歌謡を熱唱するGさん。自他ともに認める「歌って演じる人」ですが、2006年から施設で働き始めるまで「カラオケに行ったのは5回もなかった」そうです。

 入職した当初、デイサービスはレクリエーションが充実しておらず、「つまらない」と言われていました。まずは「楽しかった。長生きしてよかった」と喜んでもらえるレクを目標にしました。開眼したのは、ワンピースを着て「瀬戸の花嫁」を歌ったとき。予想以上の盛り上がりに気をよくし、カラオケに通い始めました。今では声量たっぷりに昭和歌謡を歌いこなし、デイサービスのフロアから歌声が漏れ出すと、近くの事務室では「スナックGが始まったね」と耳を傾ける職員もいるほどです。

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自己否定から倫理は始まる

 「人の役に立つ大事な仕事」。きれいな言葉でくくられがちな介護の世界ですが、良い仕事をしようとすればするほど忍耐を求められます。ご利用者様やご家族から厳しい言葉を投げかけられることも、同僚と意思の疎通が難しい時期もありました。「いろんなエゴがぶつかり合う。それを受け入れて一緒に生きていくのが介護の現場です」

 介護保険や高齢者施設という枠組みにとらわれず、理不尽なことがあろうと、同じ地域に住む人たちと一緒に生きていく。そこにしか「超・少子高齢化社会」に向かう私たちに未来はない。しばらく前まで、「だれのため、何のために仕事をしているのか」「行き詰っても、必ずもう一つの道がある」という言葉をポケットのカード入れにしのばせていました。自分を見失いそうなとき、そっと見返したそうです。

 大学時代に出会った「自己否定から倫理が始まる」という言葉が腑に落ちることがあります。目の前のご利用者様や、その後ろにいるご家族と向き合うには、自分の事情や自分の考える正義をビリビリに破いて捨てなければならないことがあるからだといいます。

★MG_8304.JPG入院したときに、ご利用者様がつくって贈ってくれた千羽鶴

「最後まで付き合うから」

 支えになったのは、自分を頼りにしてくれるご利用者様や、その家族の存在。デイサービスをご利用されていた方が亡くなる直前、親戚よりも友人よりも先に、「Gさん、すぐ来て。もうだめだから」と電話をくれた娘さんがいらっしゃいました。Gさんと深い絆を結び、入院時も病室にGさんの写真をたくさん貼っていた方でした。

 食事ができなくなり、余命宣告を告げられた方には、「最後まで付き合うから」と声を掛けます。Gさんの原動力は、過去に味わった「自分は何もできなかった」という無力感です。認知症が進行した男性の娘さんから相談を受けたことがありました。疲れ切った娘さんに、「何とか力になりますから」と力強く言ったGさんでしたが、結局、具体的な支援に乗り出す前に男性は急逝されました。Gさんは、娘さんに「何もできずに申し訳ありませんでした」と告げたときの悔しさが、忘れられないそうです。

 認知症が進んで、何をしたか忘れてしまうご利用者様もいますが、歌を聞いて心が震えたり、ゲームで爽快な気分になったり、「その瞬間の喜びは何にも代えがたいはずです」。ご本人が忘れても、自宅に帰ってご家族とデイサービスで何があったのかを話し合えるようにするため、イベントの内容を記した「お土産プリント」を渡すことも。花見に出かけたときも持ち帰ってもらいました。「今日は桜を見てきたんだね」。夕ご飯のひととき、家族で盛り上がれば本望です。

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2023年3月の花見

現場で起きる奇跡

 花見といえば、Gさんにとって忘れられないご利用者様がいます。風船バレーが大好きな女性でしたが、年とともに食事を取れなくなっていました。週一回、デイサービスに来てもベッドに寝ていることが多くなりました。「余命はあと数週間でしょう」。医師からそう言われた頃、2019年の桜の季節がやってきました。

 花見が予定されていると知った女性の娘さんは「連れて行ってほしい」と言いました。デイサービスでは議論した結果、容態急変に備えて職員を配置し、参加してもらうことにしました。つらそうな表情をすることが多くなっていた女性でしたが、よみうりランドの敷地内の桜に囲まれた広場にやってくると、穏やかな表情になりました。

 ほとんど水分をとれなくなっていたのに甘酒を飲み、Gさんたちの余興が始まると、女性は見せることのなくなっていた笑顔を取り戻しました。女性はその一か月後に亡くなりました。この花見が、人生最後の桜、そして外出となりました。

 「お年寄りにとって桜は特別な花なんです」とGさんは言います。「今年も見られたね」「来年はどうかな」。桜は生きる幸せとともにあります。日程調整や会場設営など、花見の準備は大変だけれども、人生最後になるかもしれない桜を見せてあげたい、と。笑顔を取り戻した女性の笑顔を思い出し、Gさんはこう締めくくりました。

 「人生には必ず終わりがあるけれど、終わりは必ずしも敗北でない。必ずしも悲しいわけでなく、幸福な終わりもある。現場ではたまに、こういう奇跡も起きる。だから頑張るんです」

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