花ハウスだより

「ああ、いい人生だった」と最期に思ってもらうために~意識変えた、うな丼の成功体験【施設の看取り1】【花ハウスの人々8】

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 病院では死にたくない。でも、自宅で介護を受けるのは難しい。そうした場合にも、終の棲家(ついのすみか)となるのが介護施設です。よみうりランド花ハウスでは、治療をしても回復は難しいと医師が判断した入所者様には、本人やご家族の意向を踏まえて「看取り介護」を提供しています。看取り介護となった入所者様は容体が悪化しても、原則として医療機関への搬送や延命治療は避け、安らかに最期を迎えられるようにサポートしています。

デスカンファで教訓を共有

 「亡くなる前に、ご本人がお好きな音楽を流すことができてよかった」「ご本人が拒まれることが多く、なかなか整容ができなかったのが心残り」。看取り介護の入所者様が逝去されると、介護職員や看護師、相談員、ケアマネジャーが話し合います。

 通称・デスカンファと呼ばれる打ち合わせで、職員たちが入所者様との日々を振り返り、感じたことを言葉にしていきます。「(ご本人が話をできなくなっていたとしても)生活歴から、ご本人の好きだったことを探ることは大切だと感じた」「元気なうちに、希望をかなえてあげることが大切」など、今後に生かす教訓も職員間で共有します。

 入所者様が亡くなると、寄り添ってきた職員は精神的に落ち込みます。「もっと何かしてあげられなかったのだろうか」。後悔は尽きません。入職して18年になる2階主任のWさん(43)は、「職員の精神的な落ち込みをフォローするために話し合いを始めました」と言いますが、経験を共有して次に向けた改善策を話し合い、みんなの気持ちを近づける場にもなっています。

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安全と希望を天秤にかけて考え抜く

 お年寄りの最大の楽しみは食事です。お寿司やてんぷら、うなぎ......。ちょっと贅沢なメニューはみんなの好物ですが、飲み込む機能が低下すると、食べ物が気道に入って誤嚥性(ごえんせい)肺炎を起こす危険が高まります。入所者様によっては安全のため刻んだり、ミキサーでドロドロにしたりした形で食事をとるようになり、食感は楽しめません。

 4年ほど前、普段は細かく刻んだ食事しか食べていなかったのにウナギを望んだ、看取り介護中の男性がいました。ご自身で死を迎える覚悟を固め、施設の食事をなかなか食べません。ただ、職員との会話で「ウナギが食べたい」「お酒が飲みたい」と希望をもらしたことがありました。家族に伝えると、「ぜひ食べさせてほしい」という反応でした。通常であれば、誤嚥の危険を考えてあきらめるところです。でも、ご本人と家族の希望がはっきりしていたことから、医務課と相談してチャレンジすることにしました。

 当日は万が一に備えて、看護師が吸引器を持ってスタンバイ。男性は、ウナギとお酒を口にすると、これまでに見たこともないような笑顔で喜びながら、召し上がられました。

 これを境にWさんは、入所者様の希望をなるべくなら実現させたいと、安全と希望とを天秤にかけ、ギリギリまで考えるようになったそうです。それまでは、少しでも危険があれば、安全を選択しがちでした。いまは、「安全だけ考えていては、ご希望に応えられません。その時々で、医療や栄養のスタッフとも連携しながら、入所者様の希望に向き合う」という気持ちです。ふだんミキサー食や刻み食を食べている方に、具材やご飯を柔らかくするなど工夫し、普通の食事に近い形でお寿司を提供すると、「無茶苦茶喜んでくれる」そうです。

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食べやすいように工夫したお寿司

穏やかに施設で死を迎えるという選択

 Wさんは介護の仕事につくまで、人の死に立ち会った経験はありませんでした。初めてご遺体を目にしたのは、担当した入所者様が亡くなったときです。痛みを伴わない珍しいタイプのガンを患っていた方で、最後まで意識は鮮明でした。死期が近づくと、家族は近くのホテルに泊まり込み、毎日面会に訪れました。施設で旅立ちに向かう最後の日々を一緒に過ごされていました。人は病院で亡くなるものと思い込んでいたため、入院せず施設で穏やかに死を迎えることができるというのは、Wさんにとって新鮮な驚きでした。

 突然訪れる死と異なり、徐々に体力が弱っていく老衰やガンでは、ある程度、死に向けた準備ができます。花ハウスでは、医師の判断に基づき、施設との間で「看取り介護」の同意書を交わした入所者様には、心安らかに過ごしてもらうことを大切にし、原則として、容体が悪化しても病院には搬送せず、延命治療や点滴なども行いません。

 2000年以降に広まった看取り介護は、それまでの延命至上主義の反省から生まれました。特別養護老人ホームの常勤医として多くの方を看取り、施設の看取りケアの普及に尽力した石飛幸三医師は著書「『平穏死』のすすめ」で、「老衰の終末期を迎えた体は、水分や栄養をもはや必要としません。無理に与えることは負担をかけるだけ」と指摘しています。終末期は自然の摂理に従い、穏やかに過ごしてもらうことが大切と考えます。

 看取り介護は、可能なかぎり、日常生活の延長線上で、本人が心地いいと感じられるケアを続けます。看取りが近づいた方は、眠っている時間が長くなったり、いつもと違う時間に食べることを望んだりすることがあります。こうした入所者様には好きな時間に寝て、食べてもらうように工夫します。施設では、食事や就寝の時間のスケジュールがありますが、個人の希望に合わせ、24時間のなかで決まった時間にとらわれず介護することもあります。

 大切なのは、職員が、入所者様ご本人とご家族が、何を望んでいるかを把握することです。Wさんは同じチームの職員に対して、担当する入所者様や家族と深くかかわり、本音を打ち明けてもらえる信頼関係を早い段階でつくるように指導しています。

介護で大切なのは観察眼

 介護で大切なことは観察眼だと、Wさんは言います。認知症が進み、ご自身の希望を言葉や行動で伝えられない方もいらっしゃいます。そうしたときには仕草や声色、表情の変化に注意を向け、何を訴えているのかを読み取ろうとします。

 以前、トイレにいることをわかってくれないご利用者様がいたそうです。尿意や便意はあるのに、便器に座っても用を足しません。そうかと思えば、フロアの隅や、タンスの引き出しで用を足してしてしまいます。あるときWさんが気づいたのは、入所者様が便座に座ったときの膝の角度でした。膝が直角に曲がった状態だとトイレとは認識しませんが、そこから膝下を少しだけ自分で内側に入れると排尿するのです。さらに、トイレではなく御不浄という言葉を使い、チョロチョロと音の出るように手洗器の水を流すと、膝下を狭めるスイッチが入ることもわかりました。そうなると介助もスムースにいきます。

 看取り介護でも、入所者様を観察することで、何を望んでいるのかを見極めることができれば、意思を伝えるのが難しいご本人に代わって家族に伝えることもできます。

 望んだことはできる限りかなえてあげたい、後悔を少しでも減らしてあげたい、とWさんは言います。長い人生の最終章に寄り添い、その生活を支えるという仕事。そのお陰で、ご利用者様に「ああ、いい人生だったなあ」と思ってもらえたとしたら、これほどやりがいのある仕事はないかもしれない。Wさんの話を聞きながらそう感じました。(剛)

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いつも願っているのは、入所者様に笑顔でいてほしいということ


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